漢詩詞創作講座初心者03 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社 TopPage

第3講 外国の詩を書く

 ハッキリしているのは、漢詩を書くということは、中国という外国語の詩を書くということです。中国の詩である以上、中国で決まったルールに従わざるを得ません。「漢詩はいいけれど、作るには脚韻や平仄のルールが厳しくってね。」とぼやく人が多いようです。あとで述べますがこの厳格なルールは中国では次第に軟化して来ています。例えば韻も現代韻が使用され、古典韻で三十韻に分ける平韻分類も十六韻とほぼ半分になっています。古い原則を墨守しているのは、むしろ日本の漢詩の先生に多いようです。それでも平仄や脚韻のルールを守ることは韻文の最低条件として必要なことです。

 さて客観的にいえば、外国語で詩を書くのは可成り難しいことといわざるを得ません。英語会話が上手くなるためには、Thinking English・・・つまり英語で考えよと申します。日常会話ならともかく、詩となると民族の文化や習慣が背後にあって、その上に築かれるものですから、よほどそこの文化に浸らなければ難しいように思われます。中国人が日本人の作品を批評した例はあまりないのですが、ここで一例を見てみましょう。

緑陰試筆    五言排律
午枕薫風裏, 午枕 薫風の裏,
飄紅半是塵。 飄紅 半ば是れ塵。
柴門無客訪, 柴門に客の訪う無く,
何處鳥聲頻。 何の處か鳥聲頻り。
活計安吾分, 活計 吾が分に安んじ,
時能知友親。 時に能く知友親しむ。
吟詩猶懶出, 詩を吟ずれば猶お出ずるに懶く,
執筆餞徂春。 筆を執りて徂く春に餞す。
日日黄粱夢, 日日黄粱の夢,
窗前緑已新。 窗前の緑は已に新なり。

 これは葛飾吟社主宰の中山逍雀の詩で五言排律という形式です。春の住居の周辺の気分をよく述べています。これに対して中国の『新韵』誌上で李万修が次のように評しています。

「昼中、春風は花の香りを送って、しずかな眠りから覚める。薫の字を用い得たのは極めて好く、草の香り、又は花草の芳香を指し、風は香風となる。江淹の『別紙』に「陌上草薫」とある。已に暮春、紅い花弁は風に乗り空中に飄落する。・・・柴門というのだから、清貧の生活であって、高貴な客人の来訪はない。慰めは絶えず耳を悦ばす鳥たちの歌唱、気分はその音調に和しているように感じられる。自分のなすべき事は、安適の慣れ親しんだ地で楽しめば完成に向かう。更に喜ぶべきは詩友と親しく会ってお互いに詩を詠み合うことだ。吟唱するようになってから、外へ出ることは懶くなり、数杯の酒を飲み、数句の詩を賦し、明媚な春光を送るのみ。日々美しい夢に会い、刻々新鮮な緑を鑑賞する。・・・歴史上多くの人が「黄粱の夢」に行き着いたが、注意すべきはこの「黄粱の夢」は消沈せず、積極的な新意を付していて、夢の美好、夢の現実を強調し、それは「窗前緑已新」なのであろう?」

 このように邯鄲の「黄粱の夢」に新意を盛るところまで、中国人に理解させたことは素晴らしい。しかいここまで行かなくても、ルールさえ守れば、日本人らしい感覚を盛り込んでも、むしろ国際交流の意義を多彩にする効果があるといえるでしょう。