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平成11年の記事

H11-1/11
 新年おめでとう御座います。本年も宜しく松戸市民新聞共々漢詩欄のご購読をお願いいたします。本欄は日本で唯一無二の、中国詩友の投稿作品を掲載している紙面です。
謹賀新年  松戸市常盤平 小畑節朗
蕉風椰雨緑波新,連歳有餘百万民。共喜太平宜買酔,南来幾見客中春。
芭蕉の風に椰子の緑,其処には百万の民が暮らしている。
太平の世を喜びて一緒に酒を飲みたいものだ,何度もこの南の國の新年を見ているのだが。 この詩は意味深な内容だ。彼は仕事で東南アジアを往来している。この経済不況がいつまで続くと言うのか。彼は“共喜太平宜買酔”早く彼らと太平の世を喜びたいと!

歳旦游犬吠岬温泉  松戸市常盤平 今田 述
岩礁役役耐奔洋,岬角灯台纏白裳。体在温泉頭冷気,聞濤歳旦想茫々。
 岩礁は荒波に洗われ突端の灯台は白い衣裳を纏っているようだ。文字面を逐っただけでも、犬吠岬灯台の様子が目の前に浮かぶ。
 犬吠岬にも温泉が出てホテルが出来たそうだ。どうせ出かけるなら寒いところより暖かい方がよい。たぶん海辺に面した露天風呂だろう“体在温泉頭冷気”とは言い得て妙である。

都々逸  東京都中野区  中道風迅洞
片袖濡れたい 色気が春の 耳を染めてる 傘の年
 今年戴いた賀状から都々逸を紹介しよう。作者は長年NHKで織り込み都々逸を担当していた都々逸界の大御所である。ほんのりとした色気!作者は当年八〇歳か?幾つに成っても、この心は失いたくないものだ。

H11-2/8
今回は中国の方からの新年祝詩と文化交流に就いて語らせていただこう。
暮歳雪揚風,陋室春意濃。歳暮 雪は風を揚げ,陋室は春意濃かなり。
明燈時作伴,詩書常為朋。明燈は時に伴と作り,詩書は常に朋を為す。
佳節思親友,煎茶暖性霊。佳節に親友を思い,煎茶は性霊を暖む。
遣興覓小詩,千里寄東瀛。興を遣り小詩を覓め,千里東瀛(日本)に寄せる。
文明無国界,詩意鑄人情。文明に国界無く,詩意人情を鑄す。
但願人長久,普天頌和兮。但だ願わくは人長く久しく,普天頌和兮
西安市 李歩雲先生詩
 とかく損得駆け引きの世の中、だれしもこうで有ってほしい。詩歌の世界は「文明無国界,詩意鑄人情。」この言葉に偽りがない。

 筆者は西暦2000年に再度中国北京を訪ねて、中日詩人による新短詩創作大会を挙行しようと言う話になっていた。1月に北京の中日友好協会副会長「林林」先生の関係者から、先生もご高齢なので(90歳半ば)今秋にお約束の会を催したいがどうだろうか?と打診があった。編者はすぐに OKの返事をして措いた。読者諸君に是非ともこの由緒有る大会に出席される様ご案内申し上げます。詩歌の国際交流は珍しい催しではありませんが、いずれも自国詩歌の解説を為し、相手を褒めるシャンシャン交流、中国側も其れを良く知っていて、筆者提案の新短詩に殊の外意義を感じています。
 新短詩は、皆で同じ詩歌を作るのですから、もはや國の違いなど関係有りません。国籍を越えて同じ詩歌を作る催しは、有史以来の事です。新短詩はとても易しい詩歌で、恐らく2時間の講習1回で出来るようになると思われます。希望が有ればいつでも講習会を致します。
連絡先 388−0652 今田 述 先生

H11-3/7
今回は、前回に引き続き中山新短詩と日本の俳句との整合性についてお話ししよう。
    嘩歌秀作観賞              今 田  述
柳糸長 系日無功 枉断腸        王 海晨(江蘇省)
柳は俳句の世界では春の季語である。この歌でも春の日永を持て余している感覚が強い。来る日も来る日も何の功績もない我々年金生活者が等しく味わう悲哀がここにある。枉の字は「まがる」の意だが、作者が少々拗ねている様子と、柳の葉が長々と微風に漂っている風光がよく合っている。よく合っていることを俳句の世界では「付く」という。

葉底禽 惜花人在 啼一春           胡 迎建(江西省)
花も散り行き、茂りの中に鳥が啼いている。それは茂りの陰に花を惜しんでいる自分のためなのだ。そして又今年の春も過ぎて行く。春を借しむ気持ちは中国人も日本人も変わらない。芭蕉の句に「行春を近江の人とおしみけり」がある。近江(現在の滋賀県)には日本最大の湖、琵琶湖がある。行春と人の接点を詠んだ名句だ。

蕩波光 荷花映面 一船香           胡 鋭忖(湖北省)
蕩の字は日本では使わないが、蕩波とはさざ波のことだ。何とも心憎い単語で、さすが漢字の国だと思う。そのさざ波の光の中を船で行く。蓮のはなが顔を輝かし、花の香が船を包むのである。船は多分ボートのような小舟であろう。面に映えた人はどんな美女であろうか。思わず想像をかきたてられる。

11-4/12
 今月も先月に引き続き曄歌評釈を掲載しよう。 今田述 講
古樹下 老牛想家 日西傾          丁 一民(湖南省)

大木の下に牛が立っている。太陽が地平線に近付くのを見て、最早草を食べるのもやめている。きっと家に帰りたいと想っているのだ。これは実は作者自身の感情である。それが牛の気持ちとして歌われる。近代日本の短歌人、斎藤茂吉はこれを「実想感入」と云い、昭和の俳人、加藤加藤楸噸は「真実感合」と云った。この歌は季節は不明。「西日傾」とすると俳句では「西日」が夏の季語になる。

立峰巒 夕陽倒影 松陰乱           王 徳華(四川省)

峰は鋭く尖った山の意。だから夕方になるとその鋭い影が差し込んで来て、松の影が乱れるのを詠んだ。松の陰とは峰の松の影を云っているのか、下の松林のことを云っているの
か判然としないが、松林の陰に複雑な光の投影が起きたと採った方がいいと思う。ムーブメント( 動き)が伝わる句だ。四川省の山深い景観を想像させる。

湖辺柳 冷月微敲 半依秋         古 風(吉林省)

繊細な旬だ。湖辺の柳の枝が冷たい月をコソコソと敲くという。もう半ば秋になったのだという作者の感情が見事に捉えられている。吉林省は旧満州の北地だから夏も短いのであろう。「半依秋」の結語には秋を楽しむ気持ちより夏を惜しむ気持ちの方が強いように感ぜられる。「微敲」が効果的である。

H11-5/5
漢俳2首 中国社会科学院 李芒 作  1999年3月18日 于北京
賛俳句
霄漢泛吟槎      霄き漢(高き空)に槎を泛べ吟ず      
皓月清輝淡彩霞    皓月の清輝彩霞を淡くし
芳草翠天涯      芳草は天涯を翠にす

正岡子規
子規清韻悠        子規の清韻悠たり
松山響徹碧雲頭    松山の碧雲の頭に響き徹る
四海盡回眸        四海盡く眸を回す
選者評 名前は漢俳だが、日本の俳句とはだいぶ異なるようだ。句法章法が中国詩詞の延長線上にあって、詞の一型と理解した方が良さそうだ。

次韻奉和中山栄造先生《瀑布》  北京 李芒
一簾飛瀑溘苔香,韻客簾中立石梁。半酔群山連袂舞,淋漓滴翠換春装。

一九九八年晴明之前日坐船去蘇州  千葉県 小畑節朗
孤舟漾漾游子意,千里黄黄油菜花。春寒已去清和候,載潮暁夢入烟沙。

 ホームページ開設のご案内をさせて戴きます。松戸市民新聞の記事は全部載っております。亦中国はもとよりタイ・シンガポール・マレーシア・フランス・イギリスなどから寄せられた投稿も紹介しています。
 2時間の講習で世界に通用する漢詩が作れる講座や、古典詩が全く出来ない人のための初級講座・十分に作れる人には上級講座も用意しました。
 http://www3.justnet.ne.jp/~katushika

h11-6/14
 葛飾吟社には隔週毎に中国広州の広州日報社から詩詞が送られてくる。日本にもこの種の紙面はあるが、俳句誌は俳句ばっかり、川柳誌は川柳ばっかり、短歌も都々逸も似たり寄ったりである。
 人の詩情は千差万別、其れなのに詩型はたったの一つ、一体どうなって居るんだ!俳句で表現できないときはどうするんだ!無理矢理押し込むのか?それとも創らないのか?何れにせよ漢詩関係者から見れば、主従逆転しているのではないか?と素人ながら疑問に思う。
 その点中国詩詞は、千差万別の情に対して、千差万別(詩型は二千余有るが、使用頻度の高い詩型は二百余)の詩型が用意され、情を著すに最も相応しい詩型が用いられる。詩情は主で詩型は従の関係である。
 余計なことを話してしまったが、今月は広州日報社の詩詞から紹介しよう。
家郷巨変吟 江蘇省 陳鴻源
清風一路夕陽斜,碧樹嵩楼耀彩霞。偏僻荒村今建鎮,崎嶇曲径已通車。
鴬歌芳野田園緑,柳払長堤景物華。喜見民間観念変,手機電話進農家。
 日本人の漢詩の殆どは(葛飾吟社は違う)現実離れをした深山幽谷で霞を食うような作品を漢詩としてもて囃しているようだが、漢詩はそういう現実離れをしたものではない。今の姿今の心を写すものだ!
 題は故郷の様変わり。さわやかな風が吹く夕方の道,青い樹高い建物は夕陽に彩られている。辺鄙な荒れた村も今建設が進み,険しい曲がった道にも車が通っている。鴬は野に鳴き田園は緑,柳は長い堤を払って華々しい。民間の物の考え方の変わったことは嬉しいことで,携帯電話も農村に普及している。
 この詩を読むと色々なことが分かる。農村の道も整備され車が往来すること。村造りが進んでいること。携帯電話が普及していること。

H11-7/13  H11-8/5
 先ず日本留学の後、日本の学校で教鞭を執っている人の作品を紹介しよう。
故郷を思う情が切々と歌われる。
學詩  千葉 王軍合
匆々促促渡年光,未泯詩心費思量。
客羈低屋窓無月,返得高檐花有香。
人去始知情親切,家離常覚世蒼茫。
一筆春愁難写尽,亥鼻山上落夕陽。
意訳
 年月は足早に過ぎ去ったが、私の好きな詩心は未だ失せることもなく、あれこれと思いを巡らす。
遠く遺したあの人と共に愛でよう月明かりも窓に差し込まない他国の侘びしい住まいだが、隣家の高い軒からは花の香りが漂ってくる。
 人と離れて始めて情の深かったことを改めて知り、家を離れて常に世界の広さを思い知る。
 私の思いはとても多くて、詩に書き写す事など到底出来そうもない、其れなのにもう亥鼻山には夕陽がかかって居るではないか。

 双調 快活年 貴陽天河潭游記 貴陽県 石徳興
懸崖峙壁斎天高,八哥歓叫緑樹梢,軽舟好似浮苹漂。
穿過伏流道,喜見陽光照,昴首笑。
 双調とは二部構成の作品を云うようで、概ね前編と後編で構成されている。多くは、100文字200文字の作品が多いようだ。
 話は変わるが、中国詩詞作品は50字以上が大勢で、日本人が云うところの絶句などは「短詩」の類に入る。

1999-9/1
 漢詩というと、碁盤の目のような整然とした詩体を想像される方が大方であろう。この新聞ではその他に“詞”が有ることも紹介した。
 その他に有るとすれば“自由詩”で有る。この詩体は、口語体や文語体を織り交ぜ、相当中国語に堪能でないと、読むことは出来ても創作するには難しい物がある。
 中国は詩の國と言う言葉があるが、この他にも作者の自由な発想に基づく詩歌がある。黒竜江省の重陽先生の作品があるので、幾つかを抽出して紹介しよう。
神 黒竜江省 重陽
抽簽 相面
神機妙算
若有其事
洗耳恭聴
黙黙逓上幾元銭
就此一挙
養活了
成千上萬
活神仙

 字数が少ないので、敢えて説明は省こう。宝くじの抽選の時の心情を好く言い表している。
もう一首  枯葉  黒竜江省 重陽
枯葉,堅守冬天。是爲了装飾冬天。不使過分蒼涼。
枯葉,在春天里飃落。是爲了,譲新葉。更大的開拓。

1999-10/11
 今回は読みやすい作品と連句の応募を紹介しよう。
奉和中山栄造先生佳作《梅雨書窓》 北京 李芒
半簾疏雨半簾風,幾度思君幾度鐘。杜宇明春呼俊侶,臘梅今嵐綻尤紅。

 漢字3・4・3字句の続きに4・4続けて1句を完成させる「聯句」を国際交流の手段として昨年提唱した。日本人と海外の諸氏と共に多くの応酬がある。
現在インターネットページに掲載されているが、ここで紹介するので、読者諸氏は、是非4+4と続けて欲しい。規約は極簡単でただ4字句と4字句を続ければよい。ほかには何も制約がない。吟社への応募を期待する。インターネットページを見たい方は「ヤフー」で検索「葛飾吟社」とすれば繋がります。投稿掲示板も有ります。応募作品はインターネットページに掲載すると共に、上句の作者に贈ります。
応中山栄造先生徴聯句上句五句 李芒
一声鐘 一簾瀑布 半山鳴
一蝉鳴 一株紅葉 半窓情
一首詩 一杯清酒 酔う胡枝(山萩・赤い)
一杯茶 一行新句 望青霞(高遠なる意志を象徴する)
一山径 一行松翳 且徐行

作例
上句   一声鐘 一簾瀑布 半山鳴
下句   晩煙寒寺 夕暮帰僧
作品の送り先
松戸市金ヶ作三一〇番地 中山栄造宛

 

1999-11/8
 正月には一月早いが、賀状用の作品を紹介しよう。
謹賀新年  松戸市 小畑節朗
先慶紀歴二千年,亦悦逢春萬象妍。
共懌文明無國界,斉歓四海大同天。

先ず紀歴二千年を慶び,亦逢春萬象の妍なるを悦ぶ。
共に文明に國界の無きを懌び,斉しく四海大同の天を歓ぶ。

 この作品は賀状らしく「よろこぶ」“慶悦懌歓”の文字が四っ用いられている。
 西暦二千年も取り入れ、国際文化交流にも心配りして“文明無國界”と云っている。更には国際人の感覚で“四海大同天”と結んでいる。

回文詩と云う面白い読み方をする詩型が有るので紹介しよう。

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郷家萬徳淑酒觴,徳淑酒觴天運昌。昌運天觴酒淑徳,觴酒淑徳萬家郷。
三句と四句は一句と二句のひっくり返しです。
 起句は右回り、承句も右回り。転句は左回り、結句も左回りです。これには決まった方法があります。色々研究をしてみては如何ですか。

参考 これは二句のひっくり返しですが、四句のひっくり返しも有ります。

12/30
 12月号の記事は休ませていただきます。
 お正月に出す紙面は、名刺交換会などの新聞社の収入になる記事を掲載するので、お盆とお正月は遠慮することと致します。