文化交流漢詩詞結社葛飾吟社のお知らせ Home page

お知らせ

 

創始者中山逍雀氏退会 林 林 先生登仙
黒龍江省牡丹江市訪問決定 文化交流訪中要請の御案内
芋川冬扇第2代会長就任挨拶 中山逍雀初代会長退任挨拶
葛飾吟社創始者挨拶 漢俳学会設立記念式典
書画展示即売会 東葛市民新聞
松戸市民新聞 林 岫女史講演会
葛飾吟社中国支社開設 當代吟壇出版
訃告慈父張聯芳 中日短詩研究討論会開催
中日短詩交流詩集完成 林岫女士来日講演
中日短詩交流詩集 李芒先生訃報
野草詩社と提携

 

2011年8月5日 記事

昨日、林林先生が亡くなられました。謹んで弔意を捧げます。

報道は中国人民対外友好協会から中日文化交流協会宛によるものです。
日本の新聞にはまだ出ていませんが、明日朝刊になるかと思います。
先生は1910年生まれですから、百一歳の筈です。

偉大な日本文化理解者でした。その功績の大きさを改めて感じます。
葛飾吟社名で弔電かメールを送るべきか、お伺いいたします。

今田 述

 

創始者中山逍雀氏退会

 平成22年2月末日に、創始者 中山逍雀氏は葛飾吟社を退会し、顧問の職も辞任致しました。

 平成22年は、中山逍雀氏が葛飾吟社を創立して30周年の年に当たります。
 また中山逍雀氏は昨年、満70歳に成りました。

 氏は昭和14年(1939年)3月2日生まれですから、平成22年3月には、満71歳に成ります。依って、2月末日・・・71歳に成らぬうちに、本人の希望で、ご自分の創設した漢詩詞壇から手を引くこととなりました。

 なお中山逍雀氏は至極健康です。
 個人としては、今まで通り中国詩友との交流は継続するそうです。

 

 

 

牡丹江市訪問決定

 黒龍江省牡丹江市、葛飾吟社中国分社訪問が決定しました。

 8月末、或いは9月初旬に決定しました。同行希望の方はお知らせ下さい。

  平成19年7月1日

 

文化交流訪中要請のご案内

詩詞研究討論会訪中要請が有ったので、その御案内

 昨年、中国黒竜江省牡丹江市で、「曄歌」の研究討論会を開催する事の案内が、吟社に寄せられていました。当吟社は先方に対して、確たる返答をしていませんでした。
 今年1月に再度の、開催の可否と幾許かの出席が得られるかを打診してきました。依って當吟社は、3月初頭に、討論会出席可能の返答をしました。
 依って現在、先方に於いて、研究討論会開催の準備中と聞いております。
月日     平成21年8月若しくは9月
開催地    中華人民共和国黒竜江省牡丹江市
旅程     四・五日
出席者    中国東北部の詩人概ね20名
        師範大学学生 概ね50名
行程     研究討論会に1日を充当
        黒竜江省観光1・2日
        ロシア観光1日
参加資格  通訳は付けますが、漢詩詞について、先方と対等に討論が出来る事
                 葛飾吟社会員でなくとも、當吟社会員の紹介が有れば可能です
渡航     航空機搭乗便の御案内は致しますが、原則として各自で行います
        中国国内での諸費用は一括して前払いです

        以上・・・旅程が確定しましたら、随時、此処で御案内いたします

 

第2代主宰挨拶


漢詩詞同好会葛飾吟社第2代会長芋川冬扇挨拶

 

 

 

 

 

葛飾吟社創始者挨拶


葛飾吟社創始者挨拶
次の代へ

 私が黒潮吟社と山陽吟社の門前に立ったのは、四十歳の頃です。黒潮吟社主宰高橋藍川師と山陽吟社主宰太刀掛呂山師、兩師の下で漢詩の指導を受けました。

 ある時、高橋藍川師は、並み居る高齢者の中の若造の私に「私が何故に漢詩壇開いているのか!私の誠意を知って欲しい!社会に還元して欲しい!」との旨を話されました。

 定例会の席上、太刀掛呂山師は、並み居る老齢会員を前にして、「私は老齢に鞭打って、皆さんに漢詩の講義をしています。皆さんは、私の熱意を貴方の口を通して語って欲しい!」との旨を話されました。

 兩吟社合わせれば、その会員は沖縄県から北海道まで、全国に及び、その数は700名余りで、高橋藍川師と太刀掛呂山師の意志を継いだ漢詩詩壇は全国に有りました。

 私にも、宮崎県、大分県、香川県、大阪府、静岡県、千葉県にと、吟社を創立した先輩が居りましたが、今は、何方もご高齢のため、老境若しくは他界してしまいました。

 私は幾度も、創始者が去った後の詩壇の崩壊を悉に見ております。高い技量を持った指導者が居たのに、その技量を伝えるテキストが存在しないのです。希に有ったとしても、一般教養の域を出ないレベルでした。此では創始者の高い技量の伝授が老境若しくは他界した時点で途絶えてしまいます。

 私が千葉県松戸市社会教育認定団体第310號 葛飾吟社を旗揚げしたのは、41歳で昭和55年・1980年です。当初の10年は右往左往の状態で、漸くにして進むべき道を得たのは、高橋藍川師と太刀掛呂山師が他界した後の事です。

 私は中国詩詞壇との連携を求め、滋賀県の大井清老を訪ねました。大井清老のご尽力により、北京の詩人“李芒先生”との知遇を得て、老師が老境に至まで、詩法と添削指導を受けました。その間にも、北京の林岫女史を初めとする、多くの中国詩人諸賢に、詩詞応酬に混えて添削指導を所望し、詩法と添削指導を受けました。

 私は吟社を創設するに当たり、次の幾点かを決めました。

−中華詩詞壇に通用する作品が作れて、中華詩詞壇の諸氏と対等に詩詞討論が出来る知識を保持すること。

−詩人は心を研ぎ澄ませて、時代の先端に臨まなければなりません。其れには漢詩詞が最も適切です。悠長に花鳥風月を謳っているばかりではいけません。

−葛飾吟社は、門戸を寛く開き、詩歌の別を問わず交流を盛んにします。

−先賢老師からもたらされた知識を文字情報に整理して、後継者に引き継ぎます。

−詩詞作品のあり方に付いては、私なりの意向を持っています。棚橋篁峰氏の文章がありますので、此を引用し、私の意向の表示に代えます。

  「現代韵の問題について、日本に於いて知る人が殆ど居ない状況で、古典漢詩が現在に存在して居ることは、憂うるべき状況です。更に近体詩を金科玉条の如く考える日本の漢詩界では、漢詩は形式のみを貴しとして、詩人の意境を省みることの少ない風潮を生んでいます。その為、本来自由でのびのびとした詩人の心の叫びは、思うような表現とは成らず、誰の漢詩も同じ様な詩となり、変化に乏しいものと成りました。歴代の詩人が其の詩的生命を賭けて追い求めたものは、実はそのような形骸からの脱出で有ったはずです。我々日本人が本来外国語の詩である漢詩に親しみ、共に育ててきたのは、その詩に込められた、心の叫びが感動を呼び起こしたからに他なりません。現代の日本の漢詩に、それらがあるのかと言えば、残念ながら首を横に振らざるを得ません。」

(注:棚橋篁峰;千葉県市川市生まれ、京都市在住、日中友好漢詩協会会長、中国西北大学名誉教授、中国茶文化国際検定協会会長、渡中國回数並びに中国文人知友の数に於いて、日本に彼の右に出る文化人は居ません。)

−以後の研究によって獲得した情報を、文字情報として後世に引き継ぎます。

−創始者には、創始者としての能力が必要ですが、継続させるためには、継続させるための能力が必要です。両方の能力を兼ね備えることは極めて希です。因って、創始者は当初の目標達成を契機に、引き継ぎは早いほうがよいのです。

−同好会は営利企業と異なり、会員の爲の組織です。諸氏が担任する任務は、会員に広く委ねるべき事柄です。常に後に続く者に配慮して、早すぎるのでは!と言われるくらいが引き時です。

    以上概ね8項

 私は自分も認める、がさつ者ですが、無鉄砲と怖いもの知らずで、高橋藍川師と太刀掛呂山師の煽てを真に受けて、27年前に葛飾吟社を立ち上げてしまいました。

 10年前に中国の詩壇文化人との詩詞交流討論会開催を為し、以後3回の詩詞交流討論会開催を為しました。

 数年前に、私が先賢から教わった基本的な詩詞情報は、総て文字情報として整理が完了し、詩詞の講座も漸く昨年末で、一通りは講じ終えました。

 中国国内で私のために東奔西走して下さった、林岫女史に対しては、日本への招聘を成して、その労に報いました。

 此によって昨年末で、ほぼ私が葛飾吟社を創立した当初の目標は達成されました。そして、今年の正月例会の席上、第2代葛飾吟社会長として、会員一同の賛同により、芋川冬扇氏が決定致しました。

 私は、会員諸氏に、私の如き、山出しの、がさつ者に、長い間付き合ってくれました!と、厚く御礼を申し上げます。

  2008/01/13

         中山逍雀 頓首

 

中山逍雀引退挨拶


中山逍雀初代会長退任挨拶

 私は1980年に、千葉県松戸市社会教育認定団体第310號 漢詩詞同好会 葛飾吟社を創立し、今年で創立28年を迎えます。私の年齢も已に満68歳に成り、私が創立当初掲げた目標はほぼ達成されました。

 創始者には、創始者としての能力が必要ですが、継続させる爲には、継続させる為の能力が必要です。私は此処に創設者の任を終えたと自認し、平成20年1月12日(2008-1-12)会員諸氏の賛同を得て、会員芋川冬扇氏を漢詩詞同好会葛飾吟社第2代会長に任命しました。

 今後、私は一般会員として、会員諸氏の要望に応じ、適宜漢詩詞の講義に当たらせていただければ幸いと存じております。

 なお諸賢に於かれましては、小生に賜りましたご厚誼を、新任会長 芋川冬扇氏に代えて、倍旧のご支援を賜れば幸いに存じます。

  2008年1月12日
               中山逍雀(満68歳) 頓首

 

 


書画展示即売会開催のご案内!

 中国・雪原水墨書院院長 教授 唐鳳寛先生の私用来日に伴い、葛飾吟社のホールを開放して、唐鳳寛先生の爲の、書画展示即売会を開催することとなりました。お近くの方は是非お立ち寄り下さい。

場所
 千葉県松戸市常盤平○○ さくら通り内科2階 葛飾吟社ホール 常磐線松戸より、新京成電鉄五香駅西口(松戸より10分)日本の道100選に入り最初の四辻左側   武蔵野線新八柱駅から新京成電鉄に乗り換え、2っ目の駅が五香駅です。

日時
 平成17年10月 1日・2日・3日 の3日間

 


漢俳学会設立記念式典

 中国人民対外友好協会より連絡があり、この度「漢俳学会」が設立される運びとなりました。今年3月23日に北京に於いて、設立記念式典が挙行されます。

 日本側からは、俳句四団体の代表者と事務方代表一名の計二名を招聘するそうです。依って都合八名が招聘されました。

 更に、當葛飾吟社は俳句団体では有りませんが、長年中国国内に於いて、詩歌による交流活動に当たってきたことが評価され、漢詩詞壇として、主宰と会代表の二名が招聘されました。

注:中国における文化団体の地位は、日本の民間団体と異なり、政府機関に所属する一機関と成ります。漢俳学会は中国国務省傘下と成るようです。(日本ならば概ね内閣官房)

 


東葛市民新聞

 東葛とは東葛飾の略称です。紙面購読の範囲は柏市・松戸市・我孫子市・流山市の広範囲に及びます。
 社主並びに関係諸賢のご厚誼により、葛飾吟社の漢詩欄掲載をして頂けることとなりました。


松戸市民新聞

 10年余に亘って漢詩詞欄を掲載して頂きましたが、時代の趨勢に抗しきれず、平成16年3月号を以て廃刊のやむなきに至りました。

 社主並びに関係各位に対し長年のご厚誼篤く御礼を申し上げます。

 なお、葛飾吟社の漢詩欄は、東葛市民新聞に掲載される運びとなりました。

 新聞紙面から漢詩欄が消えて久しいが、月刊紙「松戸市民新聞」のご理解の下恐らく日本唯一と言えるだろう「漢詩欄」がある。
 正月とお盆8月は新聞社の広告欄で埋まるので遠慮して、年に10回ほど掲載している。

 


《當代吟壇》出版のご案内12-7/14

 湖南文藝出版社より現代漢詩人を網羅した詩集が出版されました。

 本書刊載の詩人は、日本・アメリカ・フランス・タイ・スリランカ・カナダ・シンガポール・マレーシア・オーストリア・中国で、その殆どは中国本土詩人で、その他に同じ漢字使用民族としての日本人がおり、外に世界の華僑詩人が居ます。この事から、世界の漢詩人を網羅しており、現代漢詩の趨勢を学ぶには絶好の詩集です。

詩人総数   2489位
作品総数  10000首
日本人      38位

《當代吟壇》毎冊60米ドル
購書聯係處:中國湖南省益陽市朝陽市場南側文藝印刷厰
郵政篇碼:413002
聯係人:石 印 文
極重信誉,款到即郵
存書不多,欲購從速


林岫女史講演会のご案内

2002年8月

 1980年中国に5−7−5で詠む詩「漢俳」が出現しました。史上はじめて日本の文芸が中国に影響したのです。その後20年ほどで、この詩形は現代中国を代表する詩形にまで成長し、今年は中国漢俳協会の設立を見ることとなりました。中国の協会は政府機関ですから、これは画期的なことと云わねばなりません。

 葛飾吟社では、俳文化誌『游星』のご協力を得て、日中国交正常化30周年を記念し、つぎの講演会を開催することといたしました。講師の林岫(リンシュウ)女史は現代詩壇の第一人者で、趙樸初、林林、李芒ら、漢俳創設期の詩人を扶け、1997年漢俳最初のアンソロジー『漢俳首選集』を編纂しました。通訳担当の鄭民欽先生は、この首選集をはじめ、多くの日本文学・詩歌の中訳を手掛けた第一人者で、この二人の絶妙のコンビによる講演会が日本で聴けるのは貴重な機会です。なお林岫女史は、中華詩詞学会理事・中国書道連盟副会長の要職にある。
 聴講ご希望の方は、予め当社まで官製葉書・ファックス又はEメールでHPにお申し込みください。(参加費用千円当日)
 林岫女史講演会(第33回『游星』集談会)

1.演題:「俳句が中国から学んだもの・
      中国が俳句から学んだもの」

2.日時:11月10日(日)午後1時30分より

3.場所:成城大学(小田急成城学園前下車3分)

注:期日経過の為一部記事削除

 

 


葛飾吟社中国支社開設

 長年の懸案であった在中国支社開設の目途が出来ましたのでご報告いたします。
場所     中国黒竜江省牡丹江市林機小區 1−231信箱 中国代理處
支社長   唐鳳寛
事業     漢俳 曄歌 の季刊誌発行並びに配布
配布     季刊誌の配布は中国国内は無料とします。
        日本国内は航空郵便料金が高価なため、送付に拘わる諸般経費のご負担をお願いします。但し誌代は無料です。
投稿     中国国内の方は支社へ直接投稿してください。
        日本国内の方は、国内の取次人に送付してください。
謝礼     投稿作品に対する謝礼は投稿掲載誌を此に充てます。

創刊号完成

A4版 記事24Page


 

第三回
中日短詩研究討論会開催のご案内

 葛飾吟社はこの度中国北京に於いて、中日短詩研究討論会を開催することとなりました。

日時 平成16年9月26日

場所 中国北京市内会場

出席者
中国側詩人22名 孫軼青先生 林林先生 林岫先生 劉徳有先生 李宝光 呉空先生 蒋有泉先生 各位

日本側詩人14名 葛飾吟社会員他日本詩歌各位 

この討論会は、2004年9月26日大過なく終了しました。

 中国文人との交流会は、在日、在中と、概ね2年毎に開かれています。
 会員の如何を問いませんので、是非、ご参加下さい。

 

 


訃告慈父張聯芳

 慈父張聯芳,上海文史館員。因病医治無効,于2002年12月2日21時40分仙逝,享年98歳。已于同月8日10時在本市西宝興路殯儀館挙行遺体告別儀式。

子:    山河    五権
女:    竹君    蓮君   蘭君
       2002年12月9日
注:若有悼詞挽詩請寄以便整理。
  或寄杭州杭○气+羊6c27宿舎38棟2単元302室 張五権
郵編:200070 
2003年3月25日寄 張五権

注:葛飾吟社主宰中山逍雀と十数年に亘り詩作の交流を続けてきた、上海の詩人“張聯芳翁”が逝去されたというご案内がご子息より寄せられました。
 葛飾吟社会員の中には、張聯芳翁と詩詞の交流を為されていた方も居られるようです。是非ともお別れの詩詞を、ご子息様に送られる事を希望します。
 此処に張聯芳翁のご厚誼に対し厚く御礼を申し上げますと共に、謹んで哀悼の心を捧げます。
                  葛飾吟社 主宰 中山逍雀 拜

 


林岫女士来日講演のご案内
ページヘジャンプ
14−8/5掲載

 


急ぎのご案内
7月15日産経新聞読書欄に案内記事掲載

世紀を跨る日中両国短詩界交流の記録
林林・李芒・哀鷹・林岫ら中国詩壇を代表する五十三名と共に、
陳舜臣の詩・窪田章一郎や篠弘らの短歌・金子兜太や小宅容義
らの俳句を含む日本側三十三名の作品を収録。

日中両国は詩による交流を復活できるか
新世紀を迎えるにあたり日中両国の短詩人が北京に集結して行った
定型短詩の交流問答。奈良時代から明治まで常に文芸の輸出國で
有った中國が初めて日本に倣った「漢俳」は新世紀の主流か

「迎接新世紀中日短詩交流詩集」 完成しました!!

ご購入は八重洲ブックセンター
又は葛飾吟社へ 
本体1400円

 


訃告李芒先生訃報

李芒先生訃報

 長く日中の文化交流に尽力され、多くの詩歌関係者と交わりのあった李芒先生が今年の夏、薬石効無くご家族に見守られながら安らかに登仙なされました。
 此処に謹んでご冥福をお祈りいたし、ご報告いたします。

 李芒:略歴
 1920年生于旅順。中国社会科学院研究員,詩人,学者。中国日本文学研究会副会長,中国歌俳研究会会長。

 なお李芒先生は葛飾吟社代表とも親交が深く、このたび奥様(王郁潤女士)より、中山栄造宛にお手紙が参りましたので、此処に転載致します。

中山逍雀:
  李芒久病長臥,雖延医療治,終未奏効,于10月30日21時遂赴瑤池。雖説人生在世,諸行無常,然風雨一生,相濡以沫,今失良伴,頓覚歯寒,人生悲哀,莫大于此!原擬馳書親友,以報不幸,然李芒素來崇尚自然,提倡倹朴,超然生死,淡泊名利,曽言身后不開追悼会,故而尊其遺愿,不擾衆人,喪事従簡,安葬従速,于11月3日上午在八宝山公墓與其告別。失礼之處,尚祈原宥!
  李芒生前最為珍視的,一是事業,二是友情。病重之時,他念念在心的,仍是未竟之業與友人之托。奈何天不假壽,撤手人寰,棄事業友人而去。?與李芒交往有年,相助甚多。在此,謹代表李芒謝君高誼!惟愿一如既往,常賜音信,山高水長,以慰人心。
  傳此
               王郁潤
2000年11月30日


野草詩社と提携詩社なる

 2009年9月8日

 中山逍雀と小畑旭水 と松本杏花の3名は、中国北京に於いて野草詩社会長外各位と懇談
 長年に亘り提携希望を申し入れていたが、席上、葛飾吟社会員に限り、野草詩社詩誌への投稿を許可された。
 依って、今后、葛飾吟社会員で野草詩社詩誌への投稿を希望する者は、投稿することが出来る。

 なお野草詩社は、林岫女史や孫轍青前中華詩詞学会会長も会員の一員であるので、中華詩詞壇ではトップクラスの詩壇であることを承知して下さい。